子育てに正解を追い求めても見つからないよ? あるのは最適解だけ。

2児のパパ、かずへろです。

子育ては誰だって失敗したくない。

だからこそ、本やネット情報に頼って、「正解」を確かめたくなるよね。

でもさ、色々な情報を見ているうちに、よくわからなくならない?

そもそも、子育ての「正解」って何なの?

今日はそんな話。

【結論】子育てに「正解」なんて求めない方がいい。

僕は、親になるまでは、親の影響力がすべてだと思ってた。

だから、色々「正解」を求めて、失敗しないようにって考えてた。

ちなみに、僕は子供には「どんな時も自分で考えて行動できる優しい人になってほしい」って漠然と願ってる。

だから、できる限り否定的な言葉は使わず、やりたいことをやらせる子育てを実行してきたつもり。

いかにも「正解」らしきことを実行したとしても、それが理想通りなるとは限らない。

むしろ、ならない方が多いと思う。

実際、5歳の息子はどちらかというと、消極的かつ慎重で環境の変化に弱いタイプ。

現時点の話ではあるけど、僕の理想とは真逆な感じ笑

でも、それでいいんだよ。きっと。

理想を掲げることは素晴らしいことだけど、

子育てに「正解」なんて求めない方がいい。

子供それぞれ、持って生まれた能力も環境も違うんだから。

それでも「正解」を求めたいなら、参考本とかネット情報じゃなくて、子供と向き合った方がいい。

目の前の子供に、親として何ができるのか。

それを考えてあげる方が、よっぽど大切だと思う。

子育ては「正解」より「最適解」

子供と真摯に向き合いながら、子供にとっての「最適解」を見つけることが、子育ての醍醐味なんだと思う。

子育てって、「正解」を求めるより、「最適解」を求めるものなんじゃないかなって思ってる。

正解とは…

正しい解答または解釈。

goo辞書より

最適解とは…

現状から最適と考えられる解答。

goo辞書より

どっちも同じようにみえて、ニュアンスがちょっと違う。

「正解」=すでにある絶対的なもので、それを外れると「間違い」になる。

「最適解」=現状から最適だと思ったものがその親子の答えであって、答えは一つじゃない。

「最適解」を見つけるには、我が子と向き合う必要が出てくる。

「正解」は科学的根拠がある子育て論みたいな本を読んだらいいけど、「最適解」は子供と一緒に見つけ出さないといけない。

子育てってそういうものなんじゃないかな。

子供と向き合い、見えてくるもの

僕は、「正解」を追い求めることから「最適解」を見つけるように意識してから、子育ての考え方が変わった。

それは、子供と向き合う意識が出てきたこと。

子供が何を考え、子供に何をしてあげた方がいいのかを考える。

泣いてる我が子をどう泣き止ませるのか。

言うこと聞かない我が子をどう対応するのか。

叱った方がいい場面か、許した方がいい場面か。

これは、すべて「最適解」。

我が子をよく知ってる、親にしかわからない。

「育てる」って意気込むより「育ってほしい」ぐらいの認識の方がいい

子供の将来は、親次第?

ほんとうにそうなのかな。

親が子供に色々なものを与えても、将来にどう影響するかは、子供次第。

僕はそう思うようにしてる。

だから、「育ってほしい」って願ってるだけで、絶対に「育てるぞ」って意気込まないように気をつけてる。

親は、子供と向き合って、愛情を注ぐことが一番大切なことだと思うよ。きっと。

そして、あとは子供次第。

子育ては、それぐらい軽く考えた方が、親の気持ちも楽になれるじゃないかな。

最後に

色々語っちゃったけど、結局言いたいことは、

外部情報と向き合う前に、目の前の子供と向き合う方がいいよ。

ってこと。

もちろん、これは僕の「最適解」。