最近喉が痛いから小さい声で話してたら、意外と声出さなくても、子供は言うことを聞いてくれると気づいた話

どーも、2児のパパ、かずへろです。

子供を怒るとき、ついつい大きい声で怒ってしまう…

それは、大きい声を出さないと子供が言うことを聞いてくれない。って思ってるから。

だけど、本当はそんな理由じゃない。

「大きい声を出せる自分」だから言えることであって、仮に「小さい声しか出せない自分」だとしたら、小さい声で怒ることになる。

ん? 何言ってんの?

大きい声(怒鳴る)を出さないといけいない!ではなくて、大きい声を出せる便利な自分だから、仕方なく怒鳴ってしまうってこと。

子供って、意外と大きい声出さなくても、言うこと聞いてくれるよ。

最近、喉が痛くて、あんまり声を出したくないなーって思って、そのおかげで気づいた。

今日はそんな話。

子供に怒鳴るのは、何も考えないで子育てしてる証。

できる限り声を出さないように。

とはいえ、子供たちは何も気を遣ってくれない笑

いつも通り、子供たちは全力で生きてる。

朝の支度や、ご飯、お出かけ前の用意も、全然言うこと聞いてくれない笑

そんなとき、いつもなら大きい声で怒ればいいんだけど、それもできない。

どうする?

実は僕、この「どうする?」ってすごく好きだったりする。

今までは何も考えないで、怒鳴らないといけないって思ってる自分がいた。

(ちなみに頻繁に怒鳴るタイプでもないんだけど)

それが、何か工夫しないといけない場面になった。

過去のブログでも書いたことあるかもしれないけど、僕の子育てには持論があって。

子供には子供の都合がある。親の都合を子供に押し付けない。

結局、大きい声を出したい僕の都合を子供に押し付けてたんだろうな。

怒鳴る自分は、何も考えてなかったなって気づいた。

意外とそこまで声を出さなくても、子供は言うこと聞いてくれる。

声を出せない、出さないと決めたら、僕の言動は変わった。

子供を怒る時や言い聞かせる時、子供との距離を近くするようにした。

距離が近くなれば、そんなに声を出さなくてもいいから。

そして、子供に対して、より会話する気持ちになった。

なんで行かないの? ご飯なんで食べないの?って質問して、しっかり会話する…

みたいな。

今までなら、早く言うことを聞かせたいもんだから、大きい声を出せば、たいていうまくいった。

だけど、声を出せないとなると、それがある意味一呼吸になって、冷静になれたりする。

結果どうなったか。

怒鳴って怒る時より、素直に言うこと聞いてくれたりする。

そこまで物分かりはよくないけど、少なくとも、怒鳴る利点がなくなった。

よく考えりゃ、そりゃそうだ。

頭ごなしに怒鳴り散らす上司より、寄り添ってくれる上司の方が信頼度が高い。

結果的に、言うことも聞きたくなる。

もし、子供に対して怒鳴り散らしてしまうなら、色々悩まなくていい。

「大きい声を出せる便利な自分」なんだから仕方がないと思った方がいい。

裸で寝て、風邪を引いて、喉をガラガラにした方がいい。

そうすると、子供との接し方も変わる。

僕もいずれ、声が思い通りに出せるようになる。

だけど、「大きい声を出さなくてもいい」感覚を、忘れずにいたい。

不便は、僕らを成長させてくれる。そう考えると、人生楽しめる。

世の中、どんどん便利になってきた。

それは、すごく嬉しいことなんだけど。

何も考えないで、便利なものにしがみつくのは、何か違うと思ってる。

当たり前は、当たり前じゃない。

僕は、高校生の時、右手を骨折したことがある。

当時、ボウリングによく行ってた。

右手が使えないから、仕方なく左手で投げた。

今では、破壊力(スピード)は左手、コントロールは右手でうまく使い分けてる。

(ここ数年、ボウリングに行ってないけど)

今では、文字を書くこと以外、両利きになった。

骨折と聞くと、かわいそうな目で見られるだろうけど、そんなこともない。

骨折したおかげで、僕は左手を使えるようになったんだから。

全ての出来事に、何かしらの気づきや成長につなげることができたら、人生は楽しくなる。

喉が痛くなったおかげで、そのことに改めて気づけた。