どーも、2児のパパ、かずへろです。
3歳の娘。まだ文字も読めないし、数字も10の位まで。
そんな娘に最近、文字多めの絵本を読んでと言われ、困った。
読み聞かせているうちに、ページをめくろうとするし、内容説明しても全然聞いてくれない。
絵本読むのやめるよ?と言うと、めちゃくちゃ怒る。
僕は精神的にどっと疲れ、機嫌も悪くなる。
どうすりゃいいんだ!?
今日はそんな話。
絵本の紹介「旅でみる 世の中のしくみ大図解」
ちょこっと絵本の紹介。
“もの”がどのように作られて、手元に届けられるかを旅に例えて紹介する絵本。
うんちがどのように処理されてるか、なんて子供が飛び跳ねて喜ぶ内容もある。
作者が海外の人だから、内容も絵も海外。
説明文字多めで、シンプルな絵でもないから、読み聞かせっていうより、勉強本に近いかも。
正直、3歳児にはまだ早い。なんで購入したかって? そりゃ僕の好み。
そのうち息子が小学生になって読むようになるはず。知らんけど…
なぜ、子供との絵本が疲れる原因を考える
ここからが本題。
なんで、子供に絵本の読み聞かせるのって疲れるんだろう…
今回は僕好みの絵本だから仕方ないとして、他の3歳児向けの絵本を読んだときも同様に疲れる。
絵本の内容どうこうじゃなくて、「子供に絵本を読み聞かせる」行為が疲れる。
それなら読み聞かせなんてやめたらいいって?
面倒なことに、僕は子供たちに「絵本を読み聞かせしたい」のです。
子供に、「パパ絵本読んで!」って言われたら断れないでしょ。
むしろ子供たちから「絵本読んで!」言われたら、嬉しくて感動するのです。
今日こそ、優しく読んであげよう…そう心の中で決心し、いざ絵本の読み聞かせ。
読み聞かせの結末は、ご想像の通り。
前置きが長くなったけど、イライラしちゃう原因を考えないと、絵本の読み聞かせはずっと楽しくならない。ということで考えてみた。
そもそも疲れたり、イライラしたり、怒ったりするのは、自分の思い通りにならないときが多い。
そして僕の出した答えは、「僕(親)と娘(子供)の絵本読み聞かせに対する目的の違い」が原因だと思ってる。
僕は、絵本を通して知識や教養を身につけさせたい!と思っていて、絵本の内容通りに読み進めて、しっかり説明したいと考える。
一方、娘はパパに絵本を読んで相手にしてほしい、遊んでほしい! いや、パパじゃなくてもいい。本当はママがいいけどママは忙しそうだから、仕方なくパパで… そんなところだ。(これは僕の娘の話)
だから、絵本の内容なんて二の次で、楽しければそれでいい。楽しくなければすぐに他のページに行ったり、脱線する。なんなら絵本の読み聞かせをやめ、違う遊びを始めようと提案される。
仮にその絵本に興味があっても、知識や教養を身につけたいなんてこれっぽっちも思ってない。
楽しけりゃいいのだ。
僕と娘の絵本読み聞かせに対する目的の違い、そのギャップをどうにかしないと…
【解決策】娘に寄り添うことだけに集中する
僕(親)の思惑を押し出すか、娘(子供)の気持ちに寄り添うか、どちらを優先させるか決めたほうが良さそうだ。
親の思惑を押し出すなら、できる限り、周囲の誘惑を取り除き、子供が集中できる環境を整えたり、時間を決めたりしたほうがいいかも。
子供の気持ちに寄り添うなら、子供を楽しませる。それだけを考えりゃいい。途中で脱線しようが、ページをめくられようが関係ない。子供に徹底的に寄り添えばいい。
そして僕は後者を選択した。これが僕なりの「子供との絵本が疲れない」解決策。
僕の思い通りにならないからイライラし、娘は娘で思い通りにならないから怒る。
そもそも「子供のため」の絵本読み聞かせであって、「親のため」ではない。
それなら、絵本を最後のページから逆に読もうが逆さまにして読もうが、とことん娘の思い通りにさせてあげよう。
実際、僕の精神状態も変わった。イライラしなくなったし、疲れない。娘もめちゃくちゃ楽しそうだ。(リピートがエンドレスで続くから、体力的に疲れます)
うまくいくコツは、「絵本は読むもの」という固定概念を捨てること。絵本は見るだけのもので、めくるもの、ただの四角い紙であり、顔を覆い隠すことだってできる。どんな目的の本であっても「ウォーリーを探せ」のようなことができる。
子供に常識は通用しないと悟るのだ!
まとめ
まとめるとこんな感じ。
▼絵本の読み聞かせが精神的に疲れる原因
・僕(親)と娘(子供)の絵本読み聞かせに対する目的が違う。
・絵本を順序通りに読み聞かせようとするから。
▼解決策
・娘にとことん寄り添い、順序よく読もうなんて考えない。
・「絵本は読むもの」という固定概念を捨てる。子供に常識は通用しないと悟る。
子供に寄り添うのはできたから、次は嫁さんに寄り添うことを考えないと!
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